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アフガニスタン復興支援と国連難民高等弁務官事務所   

来週は、国連難民高等弁務官事務所についての講義。
わたしは、特定の国際機関の機構図とか歴史には興味が湧かないので、どうしようかなと考えているうちに思い出したのが、2002年1月に東京で行われたアフガニスタン復興支援会議を巡る出来事。
最終的に当時の外務大臣、外務事務次官の更迭に発展したわけだけど、その始まりは2001年9月11日の米国同時多発テロにあった。
あれから、本当に世界は変わった。
そのことを、もう一度振り返ってみようと思った。

【アフガニスタン復興支援の背景:米国同時多発テロ】
2001年9月11日 米国同時多発テロ
20日 米議会上下両院合同会議および米国民に向けたブッシュ大統領演説
「われわれの対応は、即時の報復と単発的な攻撃をはるかに超えるものとなる。米国民は、1回限りの戦闘ではなく、これまでに体験したことのない長期的な軍事行動を想定するべきである。テレビで見られる劇的な攻撃もあり、成功しても明らかにされない秘密作戦もあり得る。われわれは、テロリストの資金を枯渇させ、テロリスト同士を対立させ、彼らを隠れ家から隠れ家へと追い立て、避難場所も休息も得られなくなるまで追い詰めていく。そして、テロリストに援助と隠れ家を提供する国家をも追及する。どの地域のどの国家も、今、決断を下さなければならない。われわれの味方になるか、あるいはテロリストの側につくかのどちらかである。今後、テロに避難所あるいは援助を提供する国家は、米国に敵対する政権と見なす。」(http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-jp0026.html
10月7日 アフガニスタンへの空爆開始
19日 特殊部隊投入
11月9日 マザリシャリフ陥落
11日 バーミヤン陥落
12日 ヘラート陥落
13日 カブール陥落・ジャララバード陥落
14日 チェイニー副大統領「タリバン政権崩壊」と発言
20日 アフガニスタン復興支援高級事務レベル会合(ワシントン会合)
25日 海兵隊投入
26日 クンドゥーズ陥落
27日 アフガン各派代表者会合(12月5日)(ボン会合)
カルザイ氏暫定行政機構議長に選出
12月7日 カンダハール陥落
20日 アフガニスタン復興支援運営グループ第1回会合
(ブラッセル会合)(21日)
22日 暫定行政機構発足
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/afghanistan/suii.html

【アフガニスタン復興支援国際会議(2002年1月21日、22日、at東京)を巡る混乱】
▼02年1月20日、アフガニスタン復興支援会議レセプションへの出席を直前に外務省から拒否されたNGO(非政府組織)2団体の一つの有力NGO「ピースウィンズ・ジャパン」代表者・大西健丞さんが「(私の)政府批判に、代議士(鈴木宗男衆院議院運営委員長)が怒っていると言う理由で断られた」とメディアに語る。
▼21日 真紀子外相が野上事務次官に電話で問いただす。
▼22日 外相が「政治家の関与があり(NGOの参加許可は)無理だ、と(野上次官が)言い続けた」と発言。
▼24日 衆院予算委員会で民主党・菅直人衆院議員の質問に、外相は、宗男氏の関与を野上次官が認めたと答弁。これに対して鈴木h議員は「外相はウソをつく癖がある。非常に不愉快だ」と発言、野上次官も記者会見で全面否定。
▼25日 国会答弁について自民党の大島理森・国対委員長から“事情聴取”された外相が「残念ですね。官僚のいうことは信用されて、国会議員・大臣がいうことは信用されない」と、記者団の前で涙する。
▼25日 小泉首相が「(涙は)女の最大の武器というからね」と語る。
▼29日(未明) 小泉首相が「本当に何が起こるか分からない。一寸先はヤミだ。最初のボタンの掛け違いもあるし、せっかくアフガン会議が成功し、これからアフガンを復興しようという時にねえ。こういうことになろうとは。しかし、今後どうやって打開するかが先決だな」と語る。
▼30日(未明) 小泉首相、田中真紀子外相と野上義二外務事務次官の両者を更迭。鈴木宗男衆院議院運営委員長も辞任。

【緒方貞子前国連難民高等弁務官による2002年3月17日の、ジャパンソサエテイィでのスピーチ抜粋】
As the Afghan reconstruction agenda unfolded internationally, I was appointed by Prime Minister Koizumi to serve as his Special Representative to lead Japan's efforts. I had visited Afghanistan and the neighboring countries several times over the last years as the United Nations High Commissioner for Refugees. The Afghans were the largest since caseload of refugees, totaling close to 6.3 million when I took up the office in l991. With the withdrawal of the Soviet occupying forces, many returned home. In the subsequent years, some went home as others continued to flee. At the end of 2000 when I left, they were still the major refugee group numbering some 2.5 million.
In the fall of 2000, when I visited Pakistan, Afghanistan and Iran to make my last attempt at mobilizing support to solve the problem of Afghan refugees, the refugee hosting Pakistan and Iran, faced serious difficulties due to dwindling international aid. To the donor community, repatriation to Afghanistan was not an attractive solution, because Afghanistan at the time was under the fundamentalist Taliban regime. They assumed that nobody should want to go back and live under the Talibans. In spite of all the tragedies involving September 11th, for Afghanistan and the Afghan people, it was the subsequent developments following the attacks that brought them new opportunities. Personally, I felt privileged to be able to contribute to the betterment of the Afghan refugees who represented my biggest unfinished work.
http://www.humansecurity-chs.org/activities/outreach/js_afghan.html

【アフガニスタンで活動する日本のNGOへの支援】
2001年10月以降2003年1月までジャパン・プラットフォーム(JPF)拠出金(平成13年度)→アフガニスタンで活動するJPF参加10団体の現地初動活動資金として約5.5億円を使用。
燈台(アフガニスタン難民救済協力会)
カブール県ラシュモニア症撲滅計画(草の根無償資金協力)/8,361,515円
(平成14年3月2日贈与契約締結)
特定非営利活動法人 AMDA
パキスタン・クエッタ周辺におけるアフガン難民・帰還民への緊急医療救援プロジェクト(NGO緊急活動支援無償)/約3,800万円(平成14年3月22日支援実施契約締結)
財団法人 日本国際親善厚生財団
パキスタン・ペシャワールアフガン難民医療支援活動
(NGO緊急活動支援無償)/約5,990万円(平成14年3月22日支援実施契約締結)
アフガニスタンへ病院用ベッドを贈る会(愛知県安城市)
カピサ病院、ローガル病院への中古ベッド、車椅子等の供与(中古リサイクル物資輸送費支援)平成14年11月21日 供与限度額:4,849,609円
特定非営利活動法人 アジア戦災孤児救済センター(東京都)
トラウマ・PTSDに苦しむ戦災孤児支援プロジェクト
平成14年12月26日 9,918,445円
社団法人 セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン
カブールにおける女子学生・女子教員の制服作成技術指導及び支給プロジェクト
平成15年1月17日 9,782,865円
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by fwge1820 | 2005-11-26 11:19

子ども最優先! ユニセフ(国際連合児童基金)   

今回(11月16日)は懐かしいユニセフについての講義。
ユニセフのことは色々な角度から話せるわけだけど、今回は一応、人権という視点から話を進めてみる予定。

【国際人権の歩み】
1941年 フランクリン・ルーズベルト米国大統領
  Freedom of speech and expression
  Freedom of worship
  Freedom from want
  Freedom from fear
1948年  世界人権宣言
1965年 あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約
  (日本は1995年に締結)
1966年  経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約
  (日本は1979年に締結)
1966年 市民的及び政治的権利に関する国際規約
  (日本は1979年に締結)
  (但し、選択議定書及び第二選択議定書は未締結)
1979年  女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約
  (日本は1985年に締結)
1989年  子どもの権利に関する条約
  (日本は1994年に締結)
1990年  全ての移住労働者及びその権利保護に関する条約
  (日本は未締結)

【子どものための世界サミット(1990年9月)より国連子ども特別総会(2002年5月)へ】
子どものための世界サミット(1990年9月30日)
「子どもの生存、保護および発達に関する世界宣言」&「1990年代における子どもの生存、保護および発達に関する世界宣言を実施するための行動計画」
  (1)1990年から2000年までの間に、乳児死亡率と五歳未満児死亡率を現在の三分の二か、出生1000名当たりそれぞれ50と70の、どちらか低い方まで下げる
  (2)1990年から2000年まで間に、妊産婦の死亡率を半分にする
  (3)1990年から2000年までの間に、五歳未満児の重・中度の栄養不良を半減する。
  (4)すべての人が安全な飲料水や、衛生的な糞尿処理施設のある生活ができるようにする
  (5)2000年までに基礎教育の完全普及を実現し、就学年齢児の少なくとも80%が初等教育を終了できるようにする
  (6)とくに女性の識字率に重点を置いて、成人(年齢については国が決める)の非識字率を少なくとも1990年レベルの半分にする
  (7)特に困難な状況にある子どもに対する保護をいっそう強化する
             ↓
国連子ども特別総会(2002年5月8日~10日)
「子どもに相応しい世界(World Fit for Children)」
  (1) 健康な生活の促進
  (2) 良質な教育の提供
  (3) 虐待、搾取および暴力からの保護
  (4) HIV/AIDSとの闘い
     ☞ 子ども参加
404名の子ども(8歳~18歳)が参加した「子どもフォーラム」の開催(5月5日~7日)
「わたしたちに相応しい世界」(日本語訳:安部芳絵・平野裕二)
「私たちは子どもにふさわしい世界を求めます。私たちにふさわしい世界はすべての人にふさわしい世界だからです。」
「みなさんは私たちを未来と呼びます。けれども私たちは現在でもあるのです。」

「子どもの生存と発達革命」(1980年代)より「子どもの権利革命」(1990年代~)へ
1980年1月、ジェームズ・P・グラントがユニセフ(国際連合児童基金)第3代事務局長に就任
「子どもの生存と発達革命(Child Survival and Development Revolution)」が始まる
発育観察(Growth Monitoring)
経口補水療法(Oral Rehydration Therapy)
母乳育児(Breastfeeding)
予防接種(Immunization)
       ↓
1989年11月20日、「国連子どもの権利に関する条約(子どもの権利条約)」が国連総会で採択される
生存(Survival)
発達(Development)
保護(Protection)
参加(Participation)
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by fwge1820 | 2005-11-14 14:31

ブレトンウッズ体制―市場は万能か?―   

ケインズ革命とブレトンウッズ体制
―市場は万能か?―

【20世紀の世界経済】
1880~1900年 帝国主義の時代
「イギリスにとっては、植民地略取が大いに強まった時期は1860―1880年の諸年のことで、19世紀の最後の20年間もそれが非常に顕著だった時期である。フランスとドイツにとっては、それはまさにこの20年間のことである」「独占以前の資本主義、自由競争の支配していた資本主義の発展が絶頂に達した時期は、1860年代と1870年代である」「1880年代以降の、すべての資本主義国家による植民地追求は、外交史と対外政策史のあまねく知られている事実である」(レーニン『帝国主義論』101頁)
1914年6月~1919年11月 第一次世界大戦
1929年10月24日 世界大恐慌
1936年 J・M・ケインズ『雇用、利子および貨幣の理論』
1939年9月1日~1945年8月15日 第二次世界大戦
1944年7月 ブレトンウッズ会議:固定為替相場制の採用を決定
1945年 IMF(国際通貨基金)と世界銀行設立
加盟国(1946年3月時点で40カ国)は金1オンス(28.35グラム)=35ドルで金とリンクした米ドルに対する自国通貨の平価をもち、平価の上下1%以内に為替相場を介入によって維持することが義務付けられた。1ドル=360円。
1971年8月 ニクソン米国大統領、ドルの金交換停止を発表(ニクソン・ショック)
1973年2月 全面フロート制への移行(ブレトンウッズ体制の崩壊)
1973年  第一次石油危機
1979年 第二次石油危機
1985年9月 G5(英米独仏日)プラザ会議 
1988年1月4日 1ドル=121円(85年9月当時は1ドル=240円前後)
1987年10月9日 ニューヨーク株式市場の大暴落
1995年4月19日 1ドル=80円
1997年 アジア金融危機
【アジア金融危機に見るIMFの政策】
金融引締
財政均衡政策の維持
金融システム改革
公的企業の民営化
GDP成長率を引き下げる







【現在のIMFと世界銀行】
IMF(国際通貨基金)
加盟国 184カ国
職員数 約2680名(139カ国)
出資金 3120億ドル
貸出し残高 710億ドル(82カ国へ)
世界銀行
加盟国 184カ国 
職員数 約1万人
【参考文献】
中谷巌『入門マクロ経済学』第4版(日本評論社、2000年)
ヴェ・イ・レーニン、副島種典訳『帝国主義論』国民文庫(大月書店、1977年)
大野健一・大野泉『IMFと世界銀行』(日本評論社、1993年)
【参考データ】
(1)主要国の植民地拡大の推移
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(出典: レーニン『帝国主義論』104頁)
(2)円・ドル為替レートの推移(1992年1月~2003年1月)
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出典(http://www.forexchannel.net/forex/enyasu_endaka/index.htm)(2005年11月8日付)
(3)1820年と1992年の経済大国 主要10カ国
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by fwge1820 | 2005-11-08 14:42

戦後日本と国際連合―憲法9条と国連憲章―   

【国際連合の成立】
1941年8月 ルーズヴェルト米国大統領とチャーチル英国首相が大西洋憲章 を発表
1942年1月 米・英・ソ連等の26カ国による連合国共同宣言
1943年10月 モスクワにおける米・英・ソ連・中国外相会議、新しい国際平和維持機構の成立の必要性を宣言
1944年7月 ブレトン・ウッズ会議(44カ国が参加)、国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(世界銀行)の設立が決定
1944年8~10月 ダンバートン=オークス会議by米・英・ソ連・中国、国際連合憲章草案の作成
1945年2月 ヤルタ会議
1945年4月 サンフランシスコ会議(連合国50カ国が参加)、国際連合憲章を採択
 (1945年5月7日、ドイツ無条件降伏)
 (1945年7月26日、ポツダム宣言を発表)
 (1945年8月15日、日本ポツダム宣言を受諾)
1946年1月 ロンドンで第1回国連総会&安全保障理事会が開催

【日本の戦後~55年体制の確立】
1945年8月15日、日本ポツダム宣言を受諾
 日本の被害:軍人・軍属・行方不明約186万人、一般国民の死亡・行方不明約66万人、罹災 者875万人(服部卓四郎『大東亜戦争全史』および経済安定本部『太平洋戦争による我国の 被害総合報告書』)⇔当時の日本の総人口:7214万人
      (9月26日 哲学者三木清が獄死)
1945年10月11日 マーカーサー元帥による五大改革指令
 ①憲法の自由主義化と婦人参政権の付与
 ②労働組合の結成奨励
 ③教育制度の改革
 ④秘密警察などの廃止
 ⑤経済の民主化
1946年元旦 天皇の人間宣言
    1月4日 公職追放令
1月19日 極東国際軍事裁判所憲章発布
2月13日 日本国憲法マッカーサー草案が日本に示される
3月5日 日本国憲法が閣議決定
5月3日 東京裁判が開廷
11月3日 日本国憲法公布
1947年5月3日 日本国憲法施行
1948年11月 東京裁判が閉廷
12月23日 A級戦犯7名の絞首刑が執行
1950年6月25日 朝鮮戦争が勃発
1951年8月1日 警察予備隊令を公布・施行
9月8日 サンフランシスコ平和条約&日米安全保障条約に調印
1952年4月28日 サンフランシスコ講話条約発効
1954年11月 自由民主党の結成
    (吉田茂内閣 1946年5月~47年5月、48年10月~54年12月)
1956年12月 日本の国連加盟
1960年1月 日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)・日米地位協定に調印(岸信介首相)

【日本国憲法9条と国連憲章42条、43条および51条について】
日本国憲法9条
1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
国連憲章第42条
安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。
国連憲章第43条
1項:国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ一つ又は二つ以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。この便益には、通過の権利が含まれる。2項:前記の協定は、兵力の数及び種類、その出動準備程度及び一般的配置並びに提供されるべき便益及び援助の性質を規定する。3項: 前記の協定は、安全保障理事会の発議によって、なるべくすみやかに交渉する。この協定は、安全保障理事会と加盟国群との間に締結され、且つ、署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。
国連憲章第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

【参考文献】
明石康『国際連合』第二版、岩波新書、1979年
河辺一郎『国連と日本』岩波新書、1994年
芦部信喜『憲法』岩波書店、2002年
辻村みよ子『憲法』日本評論社、2002年
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by fwge1820 | 2005-11-01 16:16

大日本帝国と国際連盟は何故失敗したのか?   

【国際連盟の略史】国際連盟は何故失敗したのか?
1914年6月28日 セルビアのボスニア州都サラエボを訪問中のオーストリア皇太子夫妻が暗殺される
7月28日 オーストリアがサラエボに宣戦布告
サラエボ側:ロシア、フランス、英国、日本、ベルギー、米国、中華民国
オーストリア側:ドイツ、トルコ、ブルガリア
1917年4月 米国が第一次世界大戦に参戦
    11月 ロシア十一月革命、ソヴィエト政権樹立
1918年1月 ウィルソンン米国大統領(民主党)による14カ条宣言:国際連盟の創設を提唱(19世紀末より第一次世界大戦まで、米国では自由競争の復活、独占資本の弊害除去、政界浄化を目指す「革新主義(progress-ism)」が広っていた)
1918年11月 ドイツ革命
    11月11日 休戦条約締結
1919年1月 パリ講和会議
    6月28日 ヴェルサイユ条約(民族自決主義、国際協調主義)
1920年1月 国際連盟が正式に発足
1929年10月24日 ウォール街の株式大暴落
1946年4月 解散決議

【日本の歴史】日本は何故、ファシズムへ傾斜していったのか?
1905年 日露戦争
1915年1月 中国政府に対する日本による二十一カ条の要求
1923年 関東大震災
1927年 金融恐慌
1930年 金輸出解禁に伴う円相場急落、デフレ
1931年 柳条湖事件(満州事変の始まり)
1932年 五・一五事件
1933年3月12日 国際連盟脱退
1936年 二・二六事件
1937年 日独伊三国防共協定
盧溝橋事件、南京事件
1938年 国家総動員法公布
1940年 大政翼賛会
1941年12月8日 真珠湾攻撃
1945年8月15日 敗戦

【国際連盟の構造】
本部(ジュネーブ)
総会:全参加国代表によって構成される
理事会:常任理事国(当初は英、仏、米、伊、日。但し、米は国連に加盟せず、26年に独が連盟加盟と共に常任理事国へ。33年には日、独が脱退。34年にソ連が連盟に加盟して常任理事国へ)+非常任理事国

【ウィルソンン米国大統領による14カ条】
(1)秘密条約を廃し、外交を公開する。(2)平時、有事にかかわらず公海の自由をみとめる。ただし、国際条約の執行のための国際的活動で閉鎖される場合はのぞく。(3)可能なかぎり国際通商の障壁をとりのぞき、和平に同意した国家相互間で平等な通商条件を確立する。(4)公共の安全を維持できる程度まで軍備を削減する。(5)宗主国と植民地双方の住民の利害が一致するよう、植民地をめぐる主張の対立を調停する。(6)民族自決を条件にロシア領から撤退する。(7)ベルギーから軍隊を撤退させ、主権を回復させる。(8)アルザス・ロレーヌをふくむ地域から軍隊を撤退させ、フランスに返還する。(9)国家的独立を保障しうる境界線にそってイタリア国境を再確定する。(10)オーストリア・ハンガリー二重帝国内の諸民族の自治権をみとめる。(11)セルビア、モンテネグロ、ルーマニアから軍隊をひきあげて領土を返還し、セルビアに海洋への通行権をみとめ、バルカン諸国の国家的独立への願いを再調整し国際的に保障する。(12)トルコの支配下にある非トルコ系住民に民族自決をみとめ、ダーダネルス海峡を国際管理下におく。(13)ポーランドの独立をみとめ、海洋への通行権を保障する。(14)政治的独立と領土の保全を相互保障しあう特別な盟約にもとづいた諸国家の包括的組織をつくる。
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by fwge1820 | 2005-10-25 20:44

国際社会前史   

【本日(10月19日)のお題】自分の周囲で、これは「近代的」だと感じる慣習、規則、制度を挙げてください。また、その理由を考えてみてください。
次に、これは「非近代的」だと感じる慣習、規則、制度を挙げて、それらが「非近代的」だと感じる理由を考えてみてください。

【参考資料】
わたしたちが今生きる社会は「近代社会」である。
もちろん、世界には近代化にまだ成功したわけではない国、地域が多く存在している。
しかし、現在の世界の趨勢を決めているのは、「近代化」を一定以上実現し国家である。それでは、「近代化」とは何か?
クズネッツ(『近代経済成長の分析、ダイヤモンド社、1977年)は、この「近代化」を総体的側面、構造的側面および国際的側面から特徴づけている。
(1)総体的側面:国民総生産の急激な増加、一人当たり国民総生産の増加と伴う総人口の増加、
(2)構造的側面:生産物を生産したり資源を利用したりする産業構造が農業から非農業に移行する「工業化」、人口が農村から都市へ移動する「都市化」
(3)国際的側面:貿易等による国際経済関係の増大
一方、現代カナダの哲学者であるチャールズ・テイラーは、「近代(modernity)」の特徴を「社会像(social imaginaries)」という観点から以下の3つとしている。テイラーの提示する「社会像」とは、「社会理論」よりも広い概念で、第一にある社会に生きる普通の人々が自らの「社会的環境(social surroundings)」をどのように想像しているか、に焦点を合わせた用語である。第二に、「社会理論」が一般に少数の人々によって共有されているものであるのに対して、「社会像」は必ずしも社会全体ではないが、より多くの人々によって共有されたものである。第三に、「社会像」は共通の慣習、広範囲に共有された正当性の感覚を可能とする共通理解である。
テイラーによれば、近代社会を支える社会像とは「市場経済」「自治的人民」「公共圏」の三つである。つまり、近代社会では経済活動を他の宗教的、政治的目的に従属しない自立した活動とみなす「自律的な経済」、すなわち「市場経済」という社会像が発展した。また、中世ヨーロッパの神聖な宇宙的秩序と身分制社会的秩序から解放された自立した主体的個人という自己理解は、「自治的人民」という社会像を生み出し、「公共圏」を形成するようになったのである。(Charles Taylor, Modern Social Imaginaries, Duke University Press, 2004)
「近代」は近代国家を生み出した。
近代国家は一般に1648年のウェストファリア条約によって成立したと考えられている。
ウェストファリア条約は、三十年戦争(1618~1648年)の結果結ばれた国際条約である。この条約により、カトリック、ルター派、カルヴァン派は等しく信仰の自由を認められ、スイス、オランダの独立が認められ、ドイツの諸領邦も完全に主権を承認された結果、それまでヨーロッパを支配していた神聖ローマ帝国が無力化し、いわゆる独立国家からなる近代社会が出現したという意味で歴史的な意味を持っている。要するに、「領土、人民、主権」を有する近代国家が歴史上初めて登場したのである。
しかし、脱宗教化が近代化でもあった西欧の「近代」は、歴史的に特殊なものであることが、現在では広く承認されている。宗教と国家の問題は、日本における靖国神社問題を見ても、なかなか一筋縄では行かない問題であり、脱宗教化による近代化を強調した西欧の「近代」も、その後、大きな課題を抱えて今日に至っている。
しかし、四大文明の発生に始まり、そこからいきなりギリシャ、ローマの発展へ収束した上で中世ヨーロッパを経てイタリアン・ルネッサンス、大航海時代・産業革命を通って近代西洋にいきつくという西洋中心の偏った世界史教育が行われている日本では、西欧の「近代」を相対化する視点が育っていない。(榊原英資『進歩から共生へ』中公文庫、中央公論新社、2001年)
この西欧史観に対して、独自の歴史観を提示した日本人が二人いる。梅棹忠夫と川勝平太である。
梅棹は、自らの「生態史観」を、系譜論と対比して機能論であると説明している。現在の文明の座標を表示するために、その文化の素材の由来を持ち出すのが「系譜論」であり、文化のデザイン、生活様式を取り上げるのが「機能論」である。その上で、梅棹は日本の現代文明を「機能論」の立場から近代文明と位置付ける。近代文明とは、巨大な工業力、ぼうだいな交通通信網、完備した行政機構、教育制度、高い平均年齢、ひくい死亡率、発達した学問、芸術などと特徴とする。そして、このような近代文明を実現した地域を第1地域、その他の地域を第2地域と分類し、第2地域が乾燥地帯であり、古代帝国が生れ、その後も専制帝国が破壊と建設が繰り返された地域であるのに対して、第1地域は中緯度温帯のおだやかな地域で自生的な遷移(オートジェニック・サクセッション)が生じたところであり、その結果、第1地域では封建制が生れ、やがて資本主義への脱皮を経て、近代文明が生れたのである、と梅棹は説明する。つまり、梅棹は、西欧諸国と日本とは、いろいろな点でたいへん条件が似ていたために、平行的な道をあゆんでしまっただけなのだ、と主張する。(梅棹忠夫『文明の生態史観』中公文庫、中央公論社、1983年)
この梅棹説が西欧社会と日本の発展の原動力についての説明を欠いているのに対して、当時の西欧社会と日本の発展を海洋アジアからのインパクトに対するレスポンスとして説明したのが川勝平太の「文明の海洋史観」である。
川勝史観によると、1450年~1640年という長期の16世紀に、西欧社会と日本は海洋アジアという空間を共有していた。当時のアジアはイスラムが支配する環インド洋地域と、中国の勢力圏にある環シナ海地域を中心に栄えており、西欧社会も日本も周辺地域に過ぎず、両地域とも金銀を対価にアジアから物資を輸入するという構造的な貿易赤字体制にあった。このアジアへの経済的従属から解放されようと、両地域は生産力向上へ向かったとするのが川勝史観の核心的主張である。その結果、19世紀には両地域とも対アジアの貿易赤字を解消し、経済的自給自足を達成するが、両地域が辿った経路は同じではなかった。
第一に、西欧社会が対アジア貿易の支払いに必要な金銀を求めて新大陸に進出したのに対して、日本は当時金銀銅を自国内で完全に自給できていた。
第二に、西欧社会は人口が稀少であったため、労働の生産性を上げるべく産業革命を推し進めたのに対して、人口の多い日本では資本を節約して労働を多用する土地生産力革命、勤勉革命が起った。
第三に、西欧社会は自らが対峙していたイスラム世界から「戦争と平和」の二分法思考を導入したのに対して、日本は当時の明がもっていた修身・斉家・治国・平天下という儒教思想を導入し、そこから日本の支配イデオロギーとなる朱子学が発展し、それに対する一つのレスポンスとして賀茂真淵、本居宣長などによる国学が生れた。
そして、第四に、西欧社会が1571年レパントの海戦で、イスラムが支配するトルコに勝利し、対外膨張主義に進んだのに対して、日本は豊臣秀吉が朝鮮出兵に失敗して鎖国体制に入った。日本は、この鎖国体制の下で労働集約型の生産革命を実現し、この成果の上に明治以後の日本は資本集約型生産技術を学び生かすことに成功し、アジア最初の近代国家となったのである。(川勝平太『文明の海洋史観』中公叢書、中央公論新社、1999年)
 川勝史観は、フェルナン・ブローデル(『地中海』)、アンドレ・グンダー・フランク(『リオリエンント』)等の欧米の歴史家によっても受容され、現在、世界史の見直し作業が進められている。
 
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by fwge1820 | 2005-10-17 09:20

後期のシラバス   

【授業の目的・概要】
私たちが今生きている世界は190以上の主権国家から成り立っています。この主権国家という制度が確立されたのは1648年のことであると言われています。
この主権国家間の問題を解決するために生まれたのが国際機関です。国際機関とは英語では一般にinternational organizationと呼ばれています。Interとは「~の間」、nationalはnationの形容詞ですが、このnationは「国家」のことです。要するに、internationalとは「国家-間」という意味なのです。
国際社会とは国家によって構成される「場」に過ぎません。日本や米国の上に国際社会という上部社会があるわけではないのです。
この授業では、国連を含む国際組織の歴史と現状について開発援助という観点から広く学んでいきたいと思います。
授業は、学生による発表と、その後のディスカッションを中心に進めていきます。
発表のテーマは、暫定的に以下の【講義の計画】の通りとします。この中から自分の興味のあるものを選択してください。他に自分が調べてみたいというテーマがあるようでしたら、ご相談ください。グループ発表、単独発表のいずれでも結構です。
発表者は、A4用紙4枚程度のレジュメを事前に用意ください。報告は30分程度でお願いします。

【講義の計画】
第1回 introduction
第2回 国際連盟の歴史
第3回 国際連合の成立
第4回 国連の組織
第5回 ブレトンウッズ体制と世銀グループ
第6回 国際連合開発計画と『人間開発報告書』
第7回 国際連合児童基金と『世界子供白書』
第8回 国際人権と国際刑事裁判所
第9回 GATT体制とWTO
第10回 EUの歴史と体制
第11回 国際NGO
第12回 イラク戦争と国連

【評価の方法】
評価の対象としては、
授業への出席率(30%)
自己発表に対する評価(30%)
他の発表に対する口頭および文書によるコメント(文書によるコメントは、講義の最後に書いていただきます)(40%)

【教 科 書】
最上敏樹『国際機構論』東京大学出版会

【参考文献】

【その他の特記事項】
海外の組織について調べるために、PCと基本的な英語力は必須です。
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by fwge1820 | 2005-10-17 08:05

専門演習I & II   

【演習の目的・概要】
わたしは、財団法人日本ユニセフ協会広報室長として、1997年より2004年まで途上国の子ども達の現状とユニセフ(国際連合児童基金)の活動を日本の人々に伝える広報活動と子どもの権利の実現を目指すアドボカシー活動に携わりました。
カンボジアやモルドバで人身売買の犠牲となった子どもたちと話をしました。スーダン南部では武力紛争の中で親を殺された子ども、兵士として戦闘に参加して負傷した子どもと語り合いました。イラク南部の町バスラにある病院では治療器材、医薬品もない中で死を待つ赤ん坊に出会いました。
世界には、今でも最も基本的な人権すら保障されていない子どもたちが数多く存在している。
この演習では、これらの活動を通じてわたしが感じ取った人権という考え方、生き方を皆さんに伝えていきたいと思います。
 わたしの専門は、人権思想、子どもの権利、参加型人権平和教育です。
人権とは「人間の尊厳を根拠として不可侵不可譲の人権をわれわれが持っているということ、そしてそうした人権をお互いに承認することによって、人間が人格的理性的存在として人間らしく共に生きることが可能となり、個人の自己実現と社会の平和をもたらしうる」(飯坂良明「日本における人権意識の深化を求めて」『国際化と人権』国際書院、1994年)という信念です。
この演習では、具体的な活動を通じて人権について学んでいきます。
人権の基礎は人権感覚、つまり自分と他者を同じように大切にしようとする感覚を身に付けることです。落合恵子さんは、このことを「他人の足を踏まないこと。そして、他人に自分の足を踏ませないこと。」と表現しています。
自分を本当に大好きな人間だけが、自分とは異なった他者を尊重することが出来ます。
自分を本当に好きになるためには、〈ほんもの〉の自分、本当に自分がやってみたいことを見つけることが必要です。
〈ほんもの〉の自分を見つけるには、〈ほんもの〉の仲間が必要です。
この演習では、参加者の希望を生かす形で、様々な活動、実践を通じて人権、平和について学んでいきます。

【演習の計画】
基本的に1年生から4年生まで一緒に演習をやっていきます。
最初に自己紹介を兼ねた自己発見のための参加型アクティビティを行います。
ゼミ生の間で基本的な信頼関係が出来たところで、それぞれの具体的な達成目標を話し合いながら決めていきます。
達成目標は、半年毎に見直しと修正をしますので、初めからあまり緻密なものを考える必要はありません。
具体的に何を、どのようにやるか、はゼミの中の話し合いで決めていきたいと思います。


【評価の方法】
最初に決めた達成目標を、どの程度実現できたか? を自己申告に基づく総合評価(同級生+教員の評価)で決定します。このプロセスを通じて、客観的な自己評価と他者評価が出来る能力を身に付けます。
評価対象、方法もゼミの中で話し合って決めたいと思います。
但し、一度ゼミの中で決めた評価システムは、最後まで守ることが基本です。


【教 科 書】
基本的な知識と理解を共有するために、以下の本は全出席者が読んでください。
大久保真紀『子どもの権利を買わないで』自由国民社
森田ゆり『エンパワメントと人権』解放出版社
イェーリング『権利のための闘争』岩波文庫、岩波書店
森田明彦『人権思想をひらく-チャールズ・テイラーとの対話』藤原書店

【参考文献】
内村公義『個人と国家』とき書房
森田明彦『ビン・ラディンの挑戦』猫の本屋さん

【その他の特記事項】
PCと英語は必須です。但し、最初から全て知っている必要は全くありません。実践の中で身に付けていきましょう。
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by fwge1820 | 2005-03-09 09:59

国連開発援助論 後期三年生用   

【授業の目的・概要】
海外で働く、あるいは国内でいわゆる外国人と呼ばれる人たちと関わって働くためには、だいたい以下の5つの選択肢があります。国連は、もちろん、そのうちの一つです。
ⓐ 企業
  ボディショップ
ⓑ 政府および関係機関
外務省、JICA、青年協力隊、自治体の国際交流協会
ⓒ 国際機関
政府間機関:国連ボランティア(UNV)
非政府機関:ワールドビジョン・ジャパン、CARE、OXFAM
ⓓ 日本のNGO
シャブラニール
日本フォスタープラン協会
第三世界ショップ
ピースボート
ⓔ 個人
研究者、ジャーナリスト、雑貨屋、通訳ガイド、日本語教師
この授業では、それぞれのセクターの特徴、そこではどのような人たちが働いているのか、実際にどんなことをやっているのか、どうしたらそんな仕事に就けるのかを皆さんと一緒に学んでいきます。

【講義等の計画】
第1回目 参加型ワークショップのメソードを利用して、皆さんが関心を持っている職業、職種を明らかにしていきます。
第2回目~5回目 各セクターの特色、業務の内容について講義を行います。同時に、皆さんの希望に合わせて作る小グループ毎に調査計画を立てます。調査の目的は、そのセクターの概要、業務の内容、就職方法とします。調査は、キャリナビメソードに基づいて、そのような仕事に就いている社会人による講演やインタビューを通じた実践的な調査を行うことを考えています。
各グループは、最終的にそれぞれが選択したセクターの調査結果をHPにアップしてもらいます。
第6回以降 各グループによる中間報告を行います。また、必要に応じて、講義を行います。
第14回&15回 各グループの最終発表と総合評価

【評価の方法】
評価の対象としては、
授業への出席率(30%)
小グループでの作業に対する貢献度(自己申告に基づくグループ毎の全体評価)(20%)
中間発表に対する同級生&教師の評価(20%)
最終発表に対する同級生&教師の評価(30%)

【教 科 書】


【参考文献】
御手洗昭治『新国際人論』総合法令(1994年)
『国際派就職事典2005』アルク社

【その他の特記事項】
海外の組織について調べるために、PCと基本的な英語力は必須です。中国語や、その他の言葉を活用していただいても結構です。
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by fwge1820 | 2005-02-27 11:37

東洋大学大学院の講義概要   

わたしは、この春より、東京都文京区白山にある東洋大学大学院の社会学研究科で毎土曜日に授業をすることになっています。

担当科目は国際社会福祉問題論。
サブタイトルは、「世界の子どもが直面する問題と対策」。

内容的には、こんな感じです。
<国際的な社会福祉問題として、世界の子ども達が直面する様々な問題を具体例に基づいて取り上げ、その原因と対策を考えます。90年代以降、世界の子ども達が直面する問題は保健、衛生、教育などの社会サーヴィスに関連したもののみならず、搾取・虐待・暴力などのより複雑な要因に基づく深刻な課題へとシフトしています。これに伴い、子どもを対象とした国際的支援活動も従来のニーズに基づくアプローチから、権利に基づくアプローチへと転換しました。本講義では、子どもを対象とした国際的な社会福祉の問題を権利に基づくアプローチを踏まえつつ取り上げていきます。>

指導方法:ワークショップ形式による参加型学習を通じ自発的な学習意欲と習慣の醸成および表現能力の向上を図り、単なる知識の習得ではなく、子どもを巡る社会福祉問題を子どもの立場に立って理解できる考え方、姿勢の習得を目指します。

成績評価の方法:出席と授業への積極的な参加の度合い

テキスト:ユニセフ(国際連合児童基金)発行『世界子供白書』

参考書:
森田ゆり『人権とエンパワメント』解放出版社
森田明彦『人権思想をひらく-チャールズ・テイラーとの対話』藤原書店
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by fwge1820 | 2005-02-24 12:56