2005年 11月 26日 ( 1 )   

アフガニスタン復興支援と国連難民高等弁務官事務所   

来週は、国連難民高等弁務官事務所についての講義。
わたしは、特定の国際機関の機構図とか歴史には興味が湧かないので、どうしようかなと考えているうちに思い出したのが、2002年1月に東京で行われたアフガニスタン復興支援会議を巡る出来事。
最終的に当時の外務大臣、外務事務次官の更迭に発展したわけだけど、その始まりは2001年9月11日の米国同時多発テロにあった。
あれから、本当に世界は変わった。
そのことを、もう一度振り返ってみようと思った。

【アフガニスタン復興支援の背景:米国同時多発テロ】
2001年9月11日 米国同時多発テロ
20日 米議会上下両院合同会議および米国民に向けたブッシュ大統領演説
「われわれの対応は、即時の報復と単発的な攻撃をはるかに超えるものとなる。米国民は、1回限りの戦闘ではなく、これまでに体験したことのない長期的な軍事行動を想定するべきである。テレビで見られる劇的な攻撃もあり、成功しても明らかにされない秘密作戦もあり得る。われわれは、テロリストの資金を枯渇させ、テロリスト同士を対立させ、彼らを隠れ家から隠れ家へと追い立て、避難場所も休息も得られなくなるまで追い詰めていく。そして、テロリストに援助と隠れ家を提供する国家をも追及する。どの地域のどの国家も、今、決断を下さなければならない。われわれの味方になるか、あるいはテロリストの側につくかのどちらかである。今後、テロに避難所あるいは援助を提供する国家は、米国に敵対する政権と見なす。」(http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-jp0026.html
10月7日 アフガニスタンへの空爆開始
19日 特殊部隊投入
11月9日 マザリシャリフ陥落
11日 バーミヤン陥落
12日 ヘラート陥落
13日 カブール陥落・ジャララバード陥落
14日 チェイニー副大統領「タリバン政権崩壊」と発言
20日 アフガニスタン復興支援高級事務レベル会合(ワシントン会合)
25日 海兵隊投入
26日 クンドゥーズ陥落
27日 アフガン各派代表者会合(12月5日)(ボン会合)
カルザイ氏暫定行政機構議長に選出
12月7日 カンダハール陥落
20日 アフガニスタン復興支援運営グループ第1回会合
(ブラッセル会合)(21日)
22日 暫定行政機構発足
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/afghanistan/suii.html

【アフガニスタン復興支援国際会議(2002年1月21日、22日、at東京)を巡る混乱】
▼02年1月20日、アフガニスタン復興支援会議レセプションへの出席を直前に外務省から拒否されたNGO(非政府組織)2団体の一つの有力NGO「ピースウィンズ・ジャパン」代表者・大西健丞さんが「(私の)政府批判に、代議士(鈴木宗男衆院議院運営委員長)が怒っていると言う理由で断られた」とメディアに語る。
▼21日 真紀子外相が野上事務次官に電話で問いただす。
▼22日 外相が「政治家の関与があり(NGOの参加許可は)無理だ、と(野上次官が)言い続けた」と発言。
▼24日 衆院予算委員会で民主党・菅直人衆院議員の質問に、外相は、宗男氏の関与を野上次官が認めたと答弁。これに対して鈴木h議員は「外相はウソをつく癖がある。非常に不愉快だ」と発言、野上次官も記者会見で全面否定。
▼25日 国会答弁について自民党の大島理森・国対委員長から“事情聴取”された外相が「残念ですね。官僚のいうことは信用されて、国会議員・大臣がいうことは信用されない」と、記者団の前で涙する。
▼25日 小泉首相が「(涙は)女の最大の武器というからね」と語る。
▼29日(未明) 小泉首相が「本当に何が起こるか分からない。一寸先はヤミだ。最初のボタンの掛け違いもあるし、せっかくアフガン会議が成功し、これからアフガンを復興しようという時にねえ。こういうことになろうとは。しかし、今後どうやって打開するかが先決だな」と語る。
▼30日(未明) 小泉首相、田中真紀子外相と野上義二外務事務次官の両者を更迭。鈴木宗男衆院議院運営委員長も辞任。

【緒方貞子前国連難民高等弁務官による2002年3月17日の、ジャパンソサエテイィでのスピーチ抜粋】
As the Afghan reconstruction agenda unfolded internationally, I was appointed by Prime Minister Koizumi to serve as his Special Representative to lead Japan's efforts. I had visited Afghanistan and the neighboring countries several times over the last years as the United Nations High Commissioner for Refugees. The Afghans were the largest since caseload of refugees, totaling close to 6.3 million when I took up the office in l991. With the withdrawal of the Soviet occupying forces, many returned home. In the subsequent years, some went home as others continued to flee. At the end of 2000 when I left, they were still the major refugee group numbering some 2.5 million.
In the fall of 2000, when I visited Pakistan, Afghanistan and Iran to make my last attempt at mobilizing support to solve the problem of Afghan refugees, the refugee hosting Pakistan and Iran, faced serious difficulties due to dwindling international aid. To the donor community, repatriation to Afghanistan was not an attractive solution, because Afghanistan at the time was under the fundamentalist Taliban regime. They assumed that nobody should want to go back and live under the Talibans. In spite of all the tragedies involving September 11th, for Afghanistan and the Afghan people, it was the subsequent developments following the attacks that brought them new opportunities. Personally, I felt privileged to be able to contribute to the betterment of the Afghan refugees who represented my biggest unfinished work.
http://www.humansecurity-chs.org/activities/outreach/js_afghan.html

【アフガニスタンで活動する日本のNGOへの支援】
2001年10月以降2003年1月までジャパン・プラットフォーム(JPF)拠出金(平成13年度)→アフガニスタンで活動するJPF参加10団体の現地初動活動資金として約5.5億円を使用。
燈台(アフガニスタン難民救済協力会)
カブール県ラシュモニア症撲滅計画(草の根無償資金協力)/8,361,515円
(平成14年3月2日贈与契約締結)
特定非営利活動法人 AMDA
パキスタン・クエッタ周辺におけるアフガン難民・帰還民への緊急医療救援プロジェクト(NGO緊急活動支援無償)/約3,800万円(平成14年3月22日支援実施契約締結)
財団法人 日本国際親善厚生財団
パキスタン・ペシャワールアフガン難民医療支援活動
(NGO緊急活動支援無償)/約5,990万円(平成14年3月22日支援実施契約締結)
アフガニスタンへ病院用ベッドを贈る会(愛知県安城市)
カピサ病院、ローガル病院への中古ベッド、車椅子等の供与(中古リサイクル物資輸送費支援)平成14年11月21日 供与限度額:4,849,609円
特定非営利活動法人 アジア戦災孤児救済センター(東京都)
トラウマ・PTSDに苦しむ戦災孤児支援プロジェクト
平成14年12月26日 9,918,445円
社団法人 セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン
カブールにおける女子学生・女子教員の制服作成技術指導及び支給プロジェクト
平成15年1月17日 9,782,865円
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by fwge1820 | 2005-11-26 11:19