2005年 07月 13日 ( 1 )   

NPT再検討会議の失敗と英国同時多発テロから見えたもの   

欧州平和大学のディレクターであり、トランセンド(平和的手段による紛争転換)のメンバーであるディートリッヒ・フィッシャーさんが書かれたメッセージを立命館大学の藤田明史さんが訳してくださいました。

       真の脅威は核テロリズムである
                                      ディートリッヒ・フィッシャー
 ロンドンでの爆弾テロは大きな被害と悲しみをひき起こした。この犯罪に対して国際社会のほとんどは正当にも非難を行った。暴力は何ら問題を解決しないどころか、問題を悪化させるだけである。
しかし、この悲劇は、もし世界が現状のままのコースを進み続けるならば、いっそう悪い未来のカタストロフィーの予兆にすぎないであろう。覇権国が、自国の安全保障のために必要であるとして、核兵器保有に固執し続けるならば、他の諸国やテロリスト組織がそれらの兵器を獲得しさらには使用することを阻止しえないであろう。
広島に投下された核兵器は20万人以上の人々を殺した。今日の核兵器はさらに強力なものになっている。ただ1発の装置が停車中の自動車の中かテームズ河に浮かぶ船の中で爆発しただけでも、ロンドンの中心街は煙と放射能の瓦礫に覆われ、直ちに100万人以上の人々が殺され、さらに多くの人々が原爆症で死に至るであろう。
「われわれの核兵器は善であり、おまえたちのそれは悪である」とする二重基準は、愚かであり説得力をもたない。核兵器技術の永久秘匿は可能であると信じるのはナイーヴに過ぎる。「核抑止」のおとぎ話を未だに信じるものは、自爆攻撃の時代を前に目を覚ました方が良い。自身が吹き飛ばされようがまっすぐに天国に行けると確信している者を、いくら恐ろしい報復の脅しを用いても「抑止」することはできない。
イラクとアフガニスタンに爆弾の雨を落とすことを命令した諸政府は、模倣しようと必死になっている者の頭の中に、(彼らと同様の)思想を植え付けたとしても驚くことはないのかもしれない。オサマ・ビン・ラーディンはかつてCIAの資金によって援助を受け訓練されていた。
 プリンストン大学で長らく国際法の教授をしていたリチャード・フォークは、「自分のことを『リアリスト』(現実主義者)と呼ぶ連中こそが最大のユートピア主義者である。なぜなら彼らは普通の政治によって核時代を生き延びることが可能であるという誤った信念をもっているからだ。本当のリアリストとは変革の必要性を認識している者のことである」と正しく指摘している。人間が生き残るためにはどんな変革が必要とされるのだろうか。[1] 攻撃的な力で問題を解決しようとする信念を放棄すること。それは同様の報復を招くだけである。犯罪を取り締まり、外国からの攻撃を防御することは正当化される。しかし、外国に対する軍事的な介入は正当化されない。
[2] NPT(核不拡散条約)の採択から37年が経過し、いまや核兵器保有国は核軍縮を実行すべき時である。われわれはより広範に開かれた世界を必要としている。そこでは、全ての核兵器が検証可能な形で廃棄・破壊され、隠れて新たに核兵器を製造することは許されない。現状では、IAEA(国際原子力機関)は、加盟国が自主的に申告した場所における査察を実施できるだけである。核兵器保持の疑いのある者が国境検査官に、「シートの下は検査さしてやるが、トランクを開けてはならない」と言えるとしたなら、そうした査察は意味をなさないであろう。疑いのある核施設に対して、世界のいかなる場所においても、事前の警告なしで査察を行う力を、IAEAはもたなくてはならない。そうでないと、核兵器の拡散を回避することは不可能である。
 核兵器国の政府は、こうした踏み込んだ査察に対して「国家主権の侵害である」と反対するであろう。しかし、飛行機の乗客は、一連の生命に関わるハイジャック事件の後、拳銃や爆発物発見のため手荷物が検査されることに初めのうちは反対していた。今日では、乗客は、こうした検査は彼らの安全を防護するものであると認識している。秘匿すべきものがないのであれば、何も恐れる必要はない。遅かれ早かれ諸政府は同様の結論に導かれるであろう。問題は、このことが行われるのが、最初の核爆発の前か後かということだけである。
[3] われわれは長らく未解決のままで放置されてきたテロリズムの原因と取り組まなく
てはならない。平和的手段による紛争転換は、教授かつ学習可能な一つの手法である。平和研究の創始者として広く知られるヨハン・ガルトゥングは、4次にわたる戦争を経たエクアドルとペルー間の国境紛争に関して、紛争地帯を共同で管理する「平和公園を含む2国間ゾーン」とすることを提案し、紛争の終止に寄与することができた。こうした平和的介入は軍事的な平和維持活動に比して費用はほとんど零である。
 われわれは調停のための国連の組織を必要とする。紛争が暴力化するのを回避するのに数百人からなる訓練された調停者が必要である。世界が毎年軍隊を維持するのに費やしている――それは世界を全体として不安全にしているにすぎない――莫大な金額に比して、これはコストがかからず、人間の生存のために資金を投下するに値するものである。「他者を脅すことによってわれわれは安全になる」という時代遅れの思考様式にわれわれが固執するならば、新たな状況に適応することに失敗した他の生物種と同様に、われわれは人類としての終焉に直面することになる。核兵器廃絶は現実的な見通しであろうか。核兵器が使われるのを座して待つよりは確かにより現実的であるに違いない。われわれは核兵器の発明を消し去ることはできないのだから、文明が維持される限り核兵器と共存しなければならない、といった議論も行われた。しかし、誰も食人の発明を消し去ることはできない。われわれはそれを嫌悪しえてきたにすぎない。同様にわれわれは核兵器によって都市全体が灰燼に帰すのを嫌悪することができないのだろうか。
(藤田明史訳)                         2005.7.10

藤田明史:立命館大学及び大阪女学院大学非常勤講師(平和学)。トランセンド(平和的手段による紛争転換)研究会会長。
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by fwge1820 | 2005-07-13 08:43 | 長崎ユースワークショップ