戦後日本と国際連合―憲法9条と国連憲章―   

【国際連合の成立】
1941年8月 ルーズヴェルト米国大統領とチャーチル英国首相が大西洋憲章 を発表
1942年1月 米・英・ソ連等の26カ国による連合国共同宣言
1943年10月 モスクワにおける米・英・ソ連・中国外相会議、新しい国際平和維持機構の成立の必要性を宣言
1944年7月 ブレトン・ウッズ会議(44カ国が参加)、国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(世界銀行)の設立が決定
1944年8~10月 ダンバートン=オークス会議by米・英・ソ連・中国、国際連合憲章草案の作成
1945年2月 ヤルタ会議
1945年4月 サンフランシスコ会議(連合国50カ国が参加)、国際連合憲章を採択
 (1945年5月7日、ドイツ無条件降伏)
 (1945年7月26日、ポツダム宣言を発表)
 (1945年8月15日、日本ポツダム宣言を受諾)
1946年1月 ロンドンで第1回国連総会&安全保障理事会が開催

【日本の戦後~55年体制の確立】
1945年8月15日、日本ポツダム宣言を受諾
 日本の被害:軍人・軍属・行方不明約186万人、一般国民の死亡・行方不明約66万人、罹災 者875万人(服部卓四郎『大東亜戦争全史』および経済安定本部『太平洋戦争による我国の 被害総合報告書』)⇔当時の日本の総人口:7214万人
      (9月26日 哲学者三木清が獄死)
1945年10月11日 マーカーサー元帥による五大改革指令
 ①憲法の自由主義化と婦人参政権の付与
 ②労働組合の結成奨励
 ③教育制度の改革
 ④秘密警察などの廃止
 ⑤経済の民主化
1946年元旦 天皇の人間宣言
    1月4日 公職追放令
1月19日 極東国際軍事裁判所憲章発布
2月13日 日本国憲法マッカーサー草案が日本に示される
3月5日 日本国憲法が閣議決定
5月3日 東京裁判が開廷
11月3日 日本国憲法公布
1947年5月3日 日本国憲法施行
1948年11月 東京裁判が閉廷
12月23日 A級戦犯7名の絞首刑が執行
1950年6月25日 朝鮮戦争が勃発
1951年8月1日 警察予備隊令を公布・施行
9月8日 サンフランシスコ平和条約&日米安全保障条約に調印
1952年4月28日 サンフランシスコ講話条約発効
1954年11月 自由民主党の結成
    (吉田茂内閣 1946年5月~47年5月、48年10月~54年12月)
1956年12月 日本の国連加盟
1960年1月 日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)・日米地位協定に調印(岸信介首相)

【日本国憲法9条と国連憲章42条、43条および51条について】
日本国憲法9条
1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
国連憲章第42条
安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。
国連憲章第43条
1項:国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ一つ又は二つ以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。この便益には、通過の権利が含まれる。2項:前記の協定は、兵力の数及び種類、その出動準備程度及び一般的配置並びに提供されるべき便益及び援助の性質を規定する。3項: 前記の協定は、安全保障理事会の発議によって、なるべくすみやかに交渉する。この協定は、安全保障理事会と加盟国群との間に締結され、且つ、署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。
国連憲章第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

【参考文献】
明石康『国際連合』第二版、岩波新書、1979年
河辺一郎『国連と日本』岩波新書、1994年
芦部信喜『憲法』岩波書店、2002年
辻村みよ子『憲法』日本評論社、2002年
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by fwge1820 | 2005-11-01 16:16

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