Child Rights Revolution   

 2001年9月11日の米国同時多発テロ事件から、2003年3月20日に開始されたイラク戦争、そして12月の自衛隊イラク派遣という一連の流れを、少し冷静に振り返ると、誰もが漠然とした不安を覚える。自分たちは何か誤った方向に流されつつあるのではないか、という不安感である。 この不安の理由ははっきりしている。現在の世界がどこに向おうとしているのか、誰も説明してくれないし、自分でも見極めがつかないからである。

 ところで、人間は、世界をあるがままに認識するのではない。ある枠組にしたがって、無意識のうちに情報を取捨選択して、判断を下し、行動するのだ。この枠組とは一つの世界観であり、ワールドモデルなわけだが、現在多くの日本人が共有しているワールドモデルは、どうやら世界の主要な動きを反映しないものとなっている。偏ったワールモデルに基づいて認識する世界像は、やはり偏っており、その判断、行動もおよそ的外れなものとなる。結果的に、自分たちは他の世界から孤立し、何か誤ったことをしているらしい、という不安が強まるのである。

 例えば、2003年8月19日にバグダットの国連本部が爆破されたあとも、100以上のNGOに所属する70人近い外国人スタッフと2000人のイラク人スタッフがイラク国内で人道援助活動を継続していたことを知っている日本人は何人いるだろうか。
 実はわたしも2004年3月、当時まだイラク国内で活動していた日本のNGO関係者による現地報告会に参加するまで、イラク国内で丸腰のNGOスタッフが活動していることを知らなかった。自衛隊のような軍隊しか活動できない危険な「イラク」というイメージは、いつの間にか、わたしたちの心の中に植えつけられていた。これは、単に政府による情報操作の結果という以上のものである。日本人のワールドモデルが、日常生活を送るイラクの一般市民に関する情報を受け付けなくなっているのだ。
 わたしは、2003年6月にイラクのバスラを訪れ、その経験を色々な所で話す機会があったが、「イラクの人たちは本当に争いを好まず、年長者を尊敬し、子どもを大切にする人たちです」と言うと、大半の人はびっくりする。多くの日本人が持っている好戦的で、血を好むイラク人というステレオタイプは、実は、マスコミを含む現代の日本人が無意識のうちに持っている、偏ったワールドモデルの反映なのである。このワールドモデルには、イラクにも、自分たちと同じような普通の人たちが暮らし、生きているという情報が入る扉がなくなっている。
 そして、毎年1月スイスのダボスで開催される世界経済フォーラムに対抗して、2001年から社会的に排除されてきた世界の弱者が結集して世界社会フォーラムが開かれるようになったこと、2004年のフォーラムがインドのムンバイで10万人を動員する大集会が実現したことを知る日本人は何人いるだろうか。
 グローバリゼーションは、市場経済の拡大・浸透とともに、市民社会の国際的台頭を生み出したが、後者の側面は現在の日本人には殆ど認識されていない。これこそ、現代日本のワールドモデルが歪んでいることの証拠である。

 それでは、何故、日本人のワールドモデルでは、世界的規模での市民社会の台頭と連帯という現象が見えてこないのだろうか。
 答えは簡単で、日本国内に市民社会がないからである。日本国内に市民社会をもたない日本人にとって、海外における市民社会運動なるものは、日常的な意識の上には上がってこない。あるいは、精々胡散臭いものにしか感じられないのだ。この度のイラクにおける日本人拘束事件を通じて浮かび上がったのは、非政府活動に対して、日本社会が持つ漠然とした不信感である。

 それでは、なぜ、日本には市民社会が育たなかったのだろうか?
 私の考えでは、その原因は1930年代にある。当時、第二次世界大戦に向けて進められた政府主導の国家総動員体制は、実は戦後も官僚主導の日本経済運営という形で存続した。その結果、日本社会では、「お上」依存の精神構造が解体されることなく、現在まで続いたのである。
 さらに、55年安保の確立によって、その「お上」は、自国の将来を米国に委ねることとした。米国の軍事力に依存して自国の安全保障を確保することを国策として決意した日本は、自らの力で国を守るという気概を失い、国の「かたち」を自らのあたまで考え、そのために行動するという自立心も失ったのである。
 その結果、与えられた枠組の中で自分の取り分だけを争うというエコノミックアニマル的な精神構造が一般化し、自立して、自らの夢の実現を目指す人間の足を引っ張ろうという「妬みの精神構造」が日本社会に蔓延したのだ。
 ここには、「お上」との距離で、それぞれの社会的地位を測る身分制社会的発想は存在しても、人間の基本的平等という意識に基づく市民社会が発展する余地はなかったのである。
 もちろん、この背景には、明治維新の際に当時の日本が西欧社会にキャッチアップすることに必死で、それまでの伝統、特に儒教、仏教といった思想を冷静に評価することなく切り捨ててしまったため、本来の伝統文化に基づいた近代日本文明を作り上げる機会を失ったという、後発国日本の宿命的な負の遺産が横たわっている。

 それでは、現代日本において「近代市民社会」を生み出すためには何が必要だろうか?
 「近代社会」とは、中世の身分制社会から解放された自立的な個人が自らの意志で形成した社会である。
 この近代社会の構成員である「近代的自己」の特徴は、「権利の主体」であることである。
 すなわち、近代以降、権利とはその所有者が権利を実現するために、それに基づいて行動すべき、あるいは行動することができる「主体的権利」と考えられるようになったのである。
 主体的権利の思想は、人に当然与えられるべき尊敬を確立し保障するために、人を積極的な協力者とみなす。
 つまり、個人には、それぞれの個性を自分の望むところにしたがって発展させる自由が与えられている、というのが、主体的権利の含意することなのである。

 この「権利主体」に18歳未満の子どもも含まれることを宣言したのが、「子どもの権利条約」である。この条約により、子どもは、もはや親の所有物や国家による管理の対象ではなく、自らの個性に従い、自らの人生を切り開く権利を持つと同時に、その実現のために行動すべき存在として国際的に認知されたのである。
 いかなる人間社会にも人間の生命、存在は尊重に値するという感覚は存在する。
 そして、一般的により高次の文明では、尊重の対象が次第に拡大して、全ての人間となっていくのが普通である。
 事実、近代社会における「人権主体」も、白人成人男性から、非白人、女性へと拡張されてきた。
 「子どもの権利条約」は、人類に残された「最後のマイノリティ」である「子ども」と「権利主体」としての資格を認めた画期的な条約なのである。
 
 「市民社会」の形成という、現代日本が取り組まなければならない「未完のプロジェクト」を成功させるには、この「子どもは権利主体」であるという「子どもの権利条約」の普及・実用化が有効な手段であると私は考えている。
 2002年5月に開催された「国連子ども特別総会」で宣言されたように、「子どもに相応しい世界は、全ての人々に相応しい世界」なのであり、「最後のマイノリティ」である「子ども」を権利主体として認めることが出来れば、全ての人々が「近代市民」、いわゆる「権利主体」となることが出来るのである。
 
現代日本が抱える擦り切れたワールドモデルを取り替えるには、先ず、「子どもの権利」の実現から始めるべきである。
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by fwge1820 | 2005-05-05 22:39 | 子どもの権利条約20周年

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